The Ordinary Unseen

 

大都会の孤独とストレスの中でもがいていた私は、悲しい時、寂しい時、くやしい時、とにかく何でもいいから一枚だけ写真を撮ろうと決めた。その繰り返しの中で、忙しい毎日で見えなくなっていた美しいものが、だんだん見え始めた。

釈尊が説いた法華経の中に、“衣裏珠(えりじゅ)の譬え”、という話が出てくる。
“ある貧しい男が、裕福な親友の家に行ってごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまった。急に出かけなければならなくなった親友は、友情の印しに、値段のつけられないほどの高価な宝石を、酔いつぶれている友人の衣の裏に縫いつけて、出かけた。そんな事とは知らずに、貧しい男は、衣食を求め、長い間あちこちいろんな国をさまよい、苦しい生活を続けていた。やがて、裕福な親友は貧しい男に再会し、彼の衣の裏に、価値の付けられないほどの宝石が縫いつけられている事を知らせると、それを見た彼の心は喜びに満たされる。”

毎日の平行線上に広がる“見えない日常”。いつも目の前にあるはずなのに、簡単に見逃してしまう、日常に潜む美しい現実。その発見は、私はこの“貧しい男”のようだった、と気づかせてくれるきっかけとなった。何かを手に入れたくて、高知のいなかを出て、都会へ都会へと行った私は、もうすでにたくさんの幸せを手にしていた。